こどもの日の由来を簡単に!「なぜ?」の全てがわかる!

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こどもの日は男の子の成長と幸せと発育を願う日として、国民の祝日にまで制定されていますよね!

 

私にはまだ子供がおりませんが、いずれ男の子が欲しいと思っておりますので、今のうちからこどもの日について学んでみようかなと思いました!

 

そんなこと言いながら、女の子が産まれるかもしれませんね(笑)でも、リサーチしていくうちに、どうやら五月五日は昔は女の子の日だったという驚きの事実があったんです!

 

そういった驚きの事実など今回の記事をご覧になっていただけると、こどもの日についての意味を簡単に理解できると思いますので、是非最後までご覧になっていただきたいと思います!

 

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なぜ「こどもの日」は「端午の節句」と呼ばれているの?

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五月五日は端午の節句とも言われていますよね。この日は、男の子の健康的な発育を祈る日となります。昭和二十三年に「こどもの日」」と位置付けて国民の祝日に設定されたのです。

 

でも、どうして端午の節句と言われるのでしょうか?それは以下の理由があります。

 

 旧暦で言うと五月は午の月で、「端午」の端は、物のはし=スタートという意味。

 この月のはじめの午の日を祝っていた。

 「午」が「五」に共通することもあり、同様の数が揃う五月五日を「端午の節句」といわれるようになった。

 

そして、端午の節句は、五月が菖蒲の花のシーズンとされることもあって、「菖蒲(しょうぶ)の節句」というふうにも称されているのです。

 

菖蒲の中には邪気をはらうパワーが存在することもあって、端午の節句においては昔から菖蒲に関係する言い伝えが豊富です。

 

例を挙げると、こどもの日には以下のような振る舞いを行なうと良いのだそうです。

 

 菖蒲または蓬(よもぎ)を自宅の玄関の軒先に差す

 菖蒲酒を飲む

 菖蒲の葉あるいは茎の束が加わった菖蒲湯に入る

 菖蒲の葉を使って鉢巻きをしたら頭痛になることが無い

 

菖蒲と花菖蒲は別物?
菖蒲と尋ねられると花菖蒲を考えてしまうでしょうが、実は端午の節句の菖蒲はアヤメ科じゃなく、サトイモ科なんです!同じ菖蒲だろうとも異なる物なんですね。ご存知でしたか?

 

どうして「鯉のぼり」をあげる風習ができたの?

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江戸時代になると、菖蒲が武道を大切に考える「尚武(しょうぶ)」に等しい音となることもあって、端午の節句は、男の児童の出世とか武運を祈る行事に移っていったというわけです。

 

魔除けの神様と見なされる鍾馗(しょうき)様あるいは武者人形を飾り、人形を身代わりにして、お子さんの厄を受けてもらえることを望んだという訳です。

 

さらには、端午の節句においては立身出世のシンボルとされる鯉のぼりをあげるようになりつつありました。なぜ「のぼり」をあげるようになったのでしょうか?それは以下の理由によります。

 

 「のぼり」は、神様に子供が誕生した事を報告するシンボルという意味。

 男の子の立身出世を望む鯉のぼりは、「うちの家に男の子がおりますよ」と神様に対して教えるためのシンボルでもあった。

 始めのうちは五色の吹き流しのみであるとか、紙ののぼりであった。

 それが、真鯉に変わって、真鯉に緋鯉(ひごい)がつく風に変わって、昭和になると子供の鯉もつけられる感じに変わっていった。

 

鯉のぼりの川渡しとは?
高知県の四万十川においては、おウチで利用しなくなってしまったもの等、日本全国から揃った五百匹の鯉のぼりが川の上を泳ぐんです。昭和四十八年に四万十川から生み出されたこの「鯉のぼりの川渡し」は、近年全国の至る所で行われるくらいにまでなってきました。

 

加えてさらに、端午の節句に飾り付けたり、魔除けを意識して身に付けていたものに、薬球(くすだま)が挙げられます。

 

薬球は菖蒲あるいは蓬の茎や葉を丸く編み、すきまを花によって飾りつけ、五色の糸を結んだ物です。貴族の中において互いに贈る習慣も存在したなどと言われています。

 

凧あげは男の子の発育を祈り、そして空を舞うもの

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端午の節句においては、男の初節句に凧をあげて健康的な発育を祈るということも行われます。古くは凧あげの対決によって年占いを行なっていたそうです。

 

国内一の凧あげ行事と評価されている埼玉県春日部市の「大凧あげ祭り」はこのような行事です。

 

 百七十年の歴史がある。

 凧が舞い上がる」と「繭(まゆ)の価格が舞い上がる」とをかけて養蚕の豊作を祈った。

 凧をあげていたが、端午の節句に男児の誕生祝いに位置付けられるふうに変わった。

 凧のサイズならば、神奈川県相模原市の「大凧まつり」が最高だが、数においては春日部の「大凧あげ祭り」のほうがひときわたくさんある。

 

凧の糸切り合戦とは?
静岡県浜松市の「浜松まつり」の凧揚げ競争においては、めいめいの凧糸を絡ませ、擦(す)り合って相手の糸を切ろうとする「糸切り合戦」が開かれるのです。

 

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ちまきと柏餅は「子孫繁栄」を望んでいただく

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端午の節句においては、ちまきと柏餅をいただく習慣が存在します。一般的に関西は「ちまき」、関東は「柏餅」と言われているようです。

 

ちまきをいただくようになってきた部分は、中国の屈原(くつげん)の故事に関係しているんです。それには以下のような言い伝えがあります。

 

 楚(そ)の国に屈原と呼ばれる詩人がいて、彼は君主の側近だった。

 しかし陰謀に影響されて失脚し、五月五日に汨羅江(べきらこう)に身投げを行った。

 その屈原の霊を弔うことを願って、民衆がちまきを川に投げ入れたことが発祥。

 屈原の場所に達するまでに、川に潜む悪どい龍がちまきを盗んでしまっていた。

 だから龍が苦手とされている笹の葉にちまきを包み、邪気を追い払う五色の糸を使って縛って投げた。

 五色の糸は吹き流しの五色(青・赤・黄・白・黒)と同様の色となる。

 

ちまきは中国から伝えられたものですけれども、柏餅は我が国独自の物になります。

 

そして、柏は新規の芽が出ない限り古い葉が落ちていかないという事から「跡継ぎが絶えることがない」「子孫繁栄」のシンボルなんだそうです!

 

「あくまき」って何?
さらに、鹿児島とか宮崎県等といった南九州においては、端午の節句に「あくまき」と称されるお菓子をいただく習わしが存在します。これは、もち米を灰を溶かした汁に一晩浸けてから、竹の皮で包み、茹であげたものになります。一口大に切り、きなこ等をつけていただきます。

 

女の家とは?

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武家が中心の時代に変わってからは、端午の節句は男の子が中心の日に変わりましたが、実は以前は女性の日だったのです!

 

五月四日を女の夜、五月五日を女の家と言い、女の人が取りしきっても問題ない日とされていたんですね。

 

この日だけは女の人が上座に座っても許されたり、畳半畳分は女性の領分であったり、女の人がメインとなる日だったのです。

 

最近でもその風習が続いている?
最近でも、中部地方とか高知県の一部にそういった習わしがまだあるようです。五月は田植えのシーズンで、田植えを行なう女の人は自宅に閉じこもって物忌み(ものいみ)と呼ばれるしばらくの間、食事とか行ないを慎み室内にこもって、精神を清めるといった行いをされていました。

 

田植を行なう女性達のことを早乙女と称します。女の家は、こういった習わしと融合したものじゃないだろうかと考えられています。

 

まとめ

 

今回の記事をまとめてみますと・・・

 

 こどもの日は午(うま)の月の始まりの意味として端午の節句という。

 午が五に通じることから、五月五日がその日になった。

 こどもの日は菖蒲の節句とも呼ばれる。

 江戸時代頃から菖蒲が武道と通じる「尚武」と同じ音から男の行事になった。

 鯉のぼりは、男の子の立身出世のシンボルとしてあげるようになった。

 凧あげは、男の子の成長を祈るための行事となった。

 ちまきは中国の屈原の故事から由来されたもの。

 柏餅は柏が新しい芽が出ないと古い葉が落ちないことから子孫繁栄の象徴とされた。

 武家社会の前は端午の節句は、女性が主役の日だった。

 

いかがだったでしょうか?こども日の由来をこれでおわかりいただけたかな?と思います!

 

こどもの日に行うことや、食べるモノにもちゃんとした由来があってのことなんですね。それにしても、武家社会の以前は女性の日だったというのは驚きでした!

 

せっかくのこども日なので、親子で一緒に楽しんで、お子さんにもその由来を教えてあげてほしいと思います!

 

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子供の日を映像でさらに簡単に説明!
この動画では、子供の日について映像でさらにわかりやすく解説してくれています。とくに、人形の大きさの移り変わりの事情などは初めて知ったことで、非常に興味深いものがありました!これを見て、さらにこどもの日の由来の知識を深めていただきたいと思います!

 

 

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